2006年06月28日

さらば東京!

なんだかんだで、
イメクラ嬢になって、3年目に突入。
当時の予定では、2年で、私名義の借金は完済して、
イメクラを辞める予定で、がむしゃらにがんばってきた。
なのに…。

また、ふりだし…。
何度もそんなことはあったけど、
さすがに、精神的にまいっていました。
肉体的にも、体はボロボロ…。
1年目の頃より、出勤もできなくなってきて、
遅刻や当欠とかもするようになり、
3年目に突入してからは、月60万程の稼ぎになっていました。

それでも、自分を振るいたたせ、がんばりました。
そして、ちょうど、その頃、
弟が、ネットビジネスをはじめました。

このネットビジネスが、真剣に取り組めば、
月200万くらいは稼げるという話。
私も最初聞いた時は「そんなうまい話あるかよ〜」って、
批判したのですが、弟は、とにかくやるっきゃないってことで、
昼は家業をして、夜、毎晩徹夜で、がんばっているようでした。
弟も、長年付き合っていた彼女とも別れ、遊びたい年頃なのに、
友達にも会わず、がむしゃらに働いていました。

そして、半年くらいたった頃、月30万くらいは、
ネットで稼げるようになったのです。
弟が取り組んでいたのは、
今ではメジャーになったアフィリエイト、情報起業、
リセールライトビジネスの3本柱。
まだまだ、もっと稼げるようになる、という話でした。

そして、今年の3月。
弟が、ネットビジネスを一緒に立ち上げてほしいということで、
イメクラを辞めることにしました。
私も、本当に、精神的にも肉体的にも限界がきていました。
前々から、両親(得に母)は、私に側にいてほしいと言っていたのですが、
私が実家に帰ったら、仕送りができなくなるし、というもあって、
保留になっていたのですが…。

こうして、私は、10年の東京生活、
3年のイメクラ嬢生活から足を洗って、
愛しの猫を連れて、今年の4月に実家に帰ってきたのです。


さらば東京!


posted by 梅田 まりも at 02:28| Comment(1) | TrackBack(0) | さらば東京! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

追い討ち。

とにかく、働きまくった結果、
風俗をはじめる前は、精神的にツライのかと思ってたけど、
肉体的にツラかった。
風俗は、まさに肉体労働。
深夜1時過ぎに帰宅して、一杯飲んで、バタンキュー。
1日、たいてい10人くらいの男性のお相手をしていたので、
シャワーを1日20回は浴びます。
おかげで、肌はカサカサというか、バサバサ。
でも、バサバサじゃ、お客様の評判が悪くなっちゃうから、
ボディーローションを塗りたくって…。

とにかく、体のメンテナンスが大変でした。
変な体制するから、腰が痛くなるので、
マッサージにもよく行ってました。
下着にも気を使ってたし。でも、洗濯する時間がないので、
イメクラ嬢になって、1年後には、ブラ&パンティーのセットは、
50着以上、ルーズソックス(←古い?)も50足になってましたね(苦笑)。

ほんと、イメクラ嬢の時の話は、
一般の人からみたら、おもしろいネタがたくさんあるので、
また、別の機会にゆっくりお話したいと思います。
恐ろしいことに、わたくし、梅田まりも、イメクラ嬢3年間で、
約7000本の男性器は、見たことになるんです。
だから、男性器に関しては、語れますよ〜(苦笑)。
でも、こんな女やだな〜。

ま、でも、これは、借金ブログですので。

そんなこんなで、私名義の借金を早く完済するために、
毎月多めに各消費者金融に返済しつつ、
あいかわらず、かかってくる母からの電話に出てしまい、
実家への送金も増額しつつ、
私名義の借金は、残り100万円くらいにまでなりました。
でも、せっかく減っても、実家の状態は悪化していたので、
結局、実家にたくさん仕送りしてしまう結果でした。
弟も内緒でしていたホストの稼ぎを、
すべて、実家の借金の返済に回していたのですが…。

そして、イメクラ嬢になって、2年が過ぎた頃、
私の肉体は限界でした。
いや、精神的にも、やっぱり、まいっていました。
弟も、そんな私を見て心配していて、
このままじゃ、結局、解決しないな、という話をよくしていました。
それでも、私名義の借金が、あと90万円という頃、
お母様がやらかしました…。


ヤミ金に手を出したのです。


しかも、以前にも、ヤミ金から借りてしまったことがあって、
今回で、2度目のできごとでした。

結局、ヤミ金と手を切るために、またまた、私名義の枠で空いていた
300万円分を借りて、ヤミ金問題は、解決しました。

その時、電話の向こうで、
はじめて、お父さんが私の前で泣きました。

この2年間は、なんだったんだろう、と、
さすがの私も、死にたくなりました。
もう、すべてが嫌になりました。
生きていることが、生きていくことが…。

でも、生きていくしかなかった。
借金を残して死ぬわけにはいかない。
逃げるわけにはいかない。


この頃、唯一の癒しは、
イメクラ嬢になってすぐに飼いはじめた猫でした。
あとは、酒(笑)。そして、タバコ。
この3つがあれば、生きていけると悟った、
まりも26歳の春でした。

posted by 梅田 まりも at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | イメクラ時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月25日

姉イメクラ嬢、弟ホスト。

「てぃんくる」ってすごい雑誌ですよね!
高収入のお仕事の求人雑誌なんだけど、
キャバ系からソープまで、
地域ごとにたくさんの求人募集が載ってる。
これが、セブンイレブンで買えてしまう東京って、
やっぱ、すごいわ〜。

その中から、タロウちゃんの情報をもとに、
イメクラを選びました。
学園系イメクラ。
制服は、もちろんセーラー服。
こうして、

イメクラ嬢・まりも(21歳)

実年齢25歳、が、誕生しました!

ま、面接の様子とか、はじめての接客とかは、
また後日、お話します。
これは、風俗嬢のエロブログじゃなくて、
一応、借金ブログですので(苦笑)。

こうして、イメクラで働くことになった、まりもですが、
もちろん、両親には内緒です。
お店が用意してくれたアリバイ会社に転職したことにしました。
弟には、話してありました。弟も、最初は複雑そうだったけど、
とにかく今は、お金を稼ぐしかない、ということで団結。
そして、弟は、土日だけ東京に出てきて、
ホストでバイトすることに…。
こうして、


姉イメクラ嬢、弟ホスト


という姉弟が誕生したのです。



イメクラは、ソープと違って、非本番風俗。
思っていたよりも、客単価はよくなかったので、休まずに働きました。
それでやっと、月80万。すごくいい時で、月100万。
もちろん、レストランで働いている時よりは、稼いでいたけど…。

うちのお店は、基本的に、
早番12時〜18時、遅番18時〜0時の2交代制。
でも、私は、いわゆる「通し」「オーラス(オープンラスト)」、
12時から0時まで、出てました。そういう娘は、めずらしい。
でも、自分でいうのも何ですが、がんばり屋さんの私は、
遅刻もせずに、毎日毎日、手も抜かずに、がんばりました。
お休みは、生理の時だけ。
生理中にタンポンや海綿を入れて出勤する女のコもいますが、
私は、お客様に不快感を与えるのが嫌で、それだけはしなかった。
けど、生理以外は毎日出勤。
チビデブながらに、童顔なのもあって、なかなかの人気嬢になりました。
本指名や予約をしてくれる常連さんも出てきて、
お店からも大事にされましたね。

ま、イメクラの話は、長くなるので、このへんで。



posted by 梅田 まりも at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | イメクラ時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月24日

もう風俗しかない2。

昨日の続き。

こうして、エロの目覚めが早かったのもあってか、
セックルは好きです(笑)。
というか、ちゅ〜とか、イチャイチャするのが好き。

テクニックとかも、かなり真剣に研究しましたよ。
そのせいか、東京に出てから、付き合った人達からも、
ホメられました(照)。
なので、そのへんには、変な自信があったのかもしれません。

風俗といっても、いろいろあります。
ピンサロ、ヘルス、ソープ、SM、イメクラ、性感マッサージ、
おさわりパブ、ランパブ、デリヘル、オナクラ、などなど…。
でも、私は、風俗をやるなら、コレ、という希望がありました。
イメクラです。

もともと、コスプレ(Hの時のね)が好きで、
イメージプレイは燃えるタイプでした(笑)。
設定が大事で、先生と女子高生(ありがち)、患者と看護婦、
部長とOL、お医者さんごっことかね。
プライベートでよくやってました(笑)。
関係ないけど、
マンネリ化してしまっているカップルにはおすすめです!
エスカレートしていた頃は、忍者プレイにハマってました。
伊賀忍者と甲賀忍者で、対立してるんだけど、
恋に落ちてしまう、という設定で(笑)。
忍者のあみあみの全身タイツみたいな衣装が、
エロくて、いいんですよね〜。
当時は、大人のおもちゃ通販みたいなところで、
カタログを取り寄せて、買ってましたね。

ま、そんなベースもあって、
イメクラで働くことに決めたんです!

でも、基本的に小心者なので、
本や雑誌をいっぱい買って調べました。風俗というものについて。
友達に、キャバ嬢やスナックでバイトしている娘はいたけど、
エロ産業の友達はいなかったので、自力で調べましたね。
今は亡き伝説の風俗嬢・菜摘ひかるさんの本が、
すごく参考になって、全部読みあさりました。
やっぱり、精神的にすごくまいってしまうみたいだったけど、
もう、やるしかなかった。

その頃、1番仲良しで、何でも話せる大親友の
男友達(セックルはなし)、タロウちゃんにも相談しました。
タロウちゃんは、風俗大好き野郎だったので。
親友として、もちろん「やめといた方がいいよ」って言ってたけど、
大金を稼ぐにはしょうがないかってことで、
最終的には賛成してくれて、相談に乗ってくれました。
リアルなお店の情報とかを教えてもらいましたね。

こうして、風俗界のルールとかを調べぬいて、
「てぃんくる」を買いに、本屋さんへ向かいました。




posted by 梅田 まりも at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | イメクラ時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

もう風俗しかない。

レストランで働きまくって3年。
この頃、私には、心の奥で思ってることがあった。


「カラダを使って稼ぐしかない…」


そして、決めた。
月収40万近くもらっていたレストランだけど、
もっと稼がなきゃダメだ。
もう風俗しかない、と。

ふつうは、キャバクラとか水商売系から、入るところ。
でも、私は、自分をよくわかっている。
美人じゃないし、スタイルもよくない。
残念ながら、私はチビデブ。
キャバ嬢は、やっぱり、キレイじゃないと稼げない。
それに、営業電話とか大変だし、友達にメールするのも面倒に
なっている私には、無理だと思った。
接客は好きだし、お酒も好きだし強いけど(苦笑)。

実は、小金持ちだった幼少の頃、
不幸な境遇に憧れている部分があった。
本当に平和な家庭で、お金もあって、
ほしいモノは、何でも買ってもらえた。
だからこそ、不幸なモノに憧れを抱いていた。
今思えば、バカな話だけど。
結局、人間はいつだってないものねだり。

幸福な人は不幸に憧れたりするし、
もちろん、不幸な人は幸せを願う。
キャリアウーマンは平凡な家庭の主婦をいいなと思うし、
退屈な主婦はバリバリ仕事をこなす独身女に憧れている。
恋人のいる彼女は彼のことで悩んで涙を流すけど、
ひとり身の女はどうしようもない孤独を抱え、
彼のことで悩む彼女をうらやましいと思う。
人間はいつだってないものねだり。

思春期の頃は、密かに「娼婦」に憧れた。
加賀まりこさん主演の「月曜日のユカ」みたいな。
だから、心の奥で、「娼婦」になってみたい、なんて、
バカげたことを思ったりもしていたのだ。

初体験は、中3の冬。
今じゃ、普通かもしれないけど、
友達の中では、早い方だった。
小学校高学年くらいから、セックルには興味があった。
早くセックルしてみたくて、田舎で一番のヤンキーと付き合っていた。
でも、このヤンキーの彼氏が、すごくやさしい、あったかい人で、
だからこそ、好きになったんだけど、
お嬢様の私を、とても大事にしてくれた。
付き合って1年たったくらいに、やっと結ばれた。初体験。
でも、それからは、やりまくった(笑)。
家は厳しかったので、門限もあったから、
彼と付き合っていることは、ぜったいに親に秘密。
実家同士だったから、もっぱら、ラブホ。いや、モーテル(笑)。
田舎には、まだあるのよね。
その頃は、おじいちゃん&おばあちゃんも生きていたから、
家族にバレないように、夜中にこっそり、家を抜け出す。
夜中、トイレに起きてきたおじいちゃんにバッタリ、
なんてこともあったから、パジャマで外に出て、
あらかじめ外に隠しておいた私服に、ガレージで着替える。
パジャマで外に出ようとした時、おばあちゃんに見つかって、
夢遊病のフリをしたこともありました(ゴメンナサイ!)。

つづく。

posted by 梅田 まりも at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | イメクラ時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

弟。

3つ下の弟とは、昔から仲がいい。キモチ悪いくらい(苦笑)。

小金持ちだった頃、オシャレに夢中だったので、
弟ともオシャレについて語り合い、一緒に原宿や青山に買い物にもよく行った。

世田谷で一緒に住んでいたこともあるので、何でもよく話す。

恋愛話はもちろん、セックル(←すいません。セックスという言葉は照れるので、
今後も、セックルと言わせて頂きます)についても、よく話した。
男側と女側の意見の交換。
こうされるとキモチいいとか、こんなプレイは興奮するとか(笑)。
こんな姉弟は、あまりいないらしい(←友達に話すと驚かれる)。

なので、人生論みたいなこともよく話した。
実家が、こんなことになってからも、お互いに愚痴を言いつつ、
解決策をよく話し合った。
さっさと、自己破産すればよかったのかもしれないけど、両親の知人からの
借り入れが多かったのもあって、無理な感じだった。
弁護士さんにも相談に行ったが、着手金が用意できないし、
やっぱり、知人からの借り入れが多いので、解決にならないと言われていた。

弟は、大学受験に失敗した後、実家に帰り、実家を継いで、実家の会社で
働いていたけど、給料は1円ももらってなかった。
そんな弟がかわいそうで、お盆や暮れに実家に帰省した時には、
よくおこづかいをあげていた。
でも、弟も、こんな状態の中、物欲もなく、恋愛する気もないようだった。

弟は、ジャニーズ系の甘いマスクで、モテる。
親バカならぬ、姉バカと思われるかもしれないけど、
性格もやさしくて、純粋で、いい奴だ。

私は、弟に何でも話した。弟も私に、実家の現状を教えてくれた。


弟 「姉ちゃん。姉ちゃんも、もう歳なんだから、結婚しないとヤバイよ。
   オレは長男だし、家を守らなきゃいけない。だから、家族は見捨てられない。
   でも、姉ちゃんは犠牲になることないよ。いいよ、だいじょうぶ、オレがなんとかする。」



弟は、私に家族を見捨てろと言った。自由になれと。
実家の事情を話している何人かの親友にも、いつも言われていた。
さっさと結婚して、遠くに行っちゃえばとか、
縁を切ればとか、海外に行っちゃいなよとか…。

でも、そんなこと、できるわけない。
私は、やっぱり、父も母も弟もおばちゃんも、好きだ。
見捨てるなんて、できない。

そして、弟と話し合った。
毎晩、電話で解決策を話し合った。
とにかく、お金を生み出すしかない。
これ以上、借りちゃいけない。
お金を稼ぐしかないのだ、と…。


posted by 梅田 まりも at 01:54| Comment(2) | TrackBack(0) | バカ姉弟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

がむしゃら。

がむしゃらに働いて働いて、3年が過ぎようとしていた…。
実家は、あいかわらずの火の車。
私名義の借金は、カードも合わせて、400万を超えていた。

月収40万の中から、20万近くを返済にあて、7万の家賃を払い、
10万を実家に仕送り。贅沢はしてなかった。洋服も買ってなかった。

あいかわらず夜中にかかってくる母からの電話に嫌悪感を抱きながらも、
お金を工面してしまう自分。

今思えば(思ってばっかだけど)、何の解決にもなっていなかったのに、
お金を送ることで、少しは、実家の役に立っている気がしていた。

将来への不安。私に未来はあるのかと、いつも思っていた。
とにかく、この私名義の借金でけでも、早く完済しなければ!
ということだけを思って、働いた。もう、物欲もなかった。
ただ、酒飲みなので、毎晩のお酒代とタバコ代だけは、
ケチれなかったけどね(苦笑)。

まわりの同年代の友達は、どんどん結婚していく。
1年に12回、結婚式に出席した年もあった(お祝儀代がぁ…)。
でも、借金が私に重くのしかかり、恋愛する気にもなれなかった。
それどころじゃなかったのだ。
でも、結婚願望はあったし、子供もほしい。
幸せな未来のためにも、とにかく、とにかく、借金を減らすことだけを
生きがいに働いた。

友達は、多いほう。飲み会、合コンには、よく呼ばれた。
美人とかかわいいからじゃなくて、おもしろいから(苦笑)。
接客業が好きなだけあって、人と接するのは好きだし、社交的な性格。
でも、この頃、友達と会うのも面倒になっていた。
電話も出たくない。メールを返す気力もゼロ。
とにかく、働いて、働いて、疲れきっていた。

でも、前向きな性格なので「死にたい」とかってことは、思わなかった。
とにかく、もう借りるのはよくない。

お金を生み出さなければ、
お金を稼がなければ、

と、日々、思っていた。

posted by 梅田 まりも at 01:58| Comment(1) | TrackBack(0) | たまにはシリアス・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

どうする?アイフ●?

はじめてのアコ●体験から、2ヶ月くらいたった頃。
またもや、夜中に電話がなる。


お母様 「(泣)。ゴメンね…。明日までに20万円必要で。月末にも10万円いるの…。
      ゴメンね…。また、借りてもらえない?ほんとに、ゴメンね…(泣)。」



恐れていた電話だった。
結局、アコ●の毎月の返済も、自分の給料で支払っていた。
この頃、とにかく、がむしゃらに働いていた私は、月収40万近く稼いでいた。
とにかく早く、アコ●を完済して、実家への送金も増やしたかったから。
でも、働きまくって私は、当時、付き合っていた彼氏と会う暇もなく、
夜も疲れ切っていて電話をする元気もなく、
月に1回、会うか会わないかって感じになっていた。
強がりな私は、彼氏に実家の状態のことは、相談してなかった。
それよりも、アコ●に借金してる女なんてことがバレたら、
嫌われるんじゃないかとさえ思っていた。


彼氏 「おまえさぁ〜、忙しいとか理由になんないよ。
   オレと仕事、どっちが大事なの?」



これって、普通、女のコが言うセリフじゃ…。
結局、別れてしまった。
好きだったけど、大好きだったけど…。

そういうことがあったのもあって、実家への、母への怒りが、こみ上げていた日々だった。
そんな中での電話。
実家から、かかってくる電話は、いつもお金のことだったから、
もう出るのも嫌になっていた。

でも、やっぱり家族。私を生んで育ててくれた母親。
泣かれると弱い。助けないわけには、いかなかった。
この時、家計を見直して、弁護士か司法書士に相談するなり、
特定調停するなり、しておけばよかったのだけど…。

結局、私は、アイフ●へ向かった。50万の借金が増えた。

そして、さらにエスカレートしていき、●富士、●ロミス、ぷ●っと。
あっというまに、5社から合計250万円借りてしまっていた…。
もちろん、返済は自分でね(苦笑)。



posted by 梅田 まりも at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめての・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月16日

はじめてのアコ●2。

昨日のつづき。

小さい頃から、

「人に物を借りちゃいけませんよ。お金を借りるなんて、最もやっちゃいけないことです!」

と育てられてきた私。

小学校の時、友達にCDを借りてきただけで、すごく怒られた。


お母様 「物を借りちゃダメって言ったでしょ!?壊したらどうするの!?
      ほしいのなら、買ってあげますっ!!」



それも、ど〜かと思うけど(苦笑)。
とにかく、こういう親に育てられてきた私。
大人になって、消費者金融(サラ金)の存在を知ってからも、
こういうところからお金を借りる人は、最低だと思ってた。
こういうところにお世話になるようじゃ、人間おしまいだなぁと。
なぜか、クレジットカードから借りるのは、まだマシだと思っていた。
クレジットカードでのキャッシングも、消費者金融から借りるのも、
同じ借金には、変わりないのにね。

そんな私だから、母に「消費者金融に行ってきて」と言われた時は、
本当にショックだった。
ぜったいに手を出しちゃいけない世界だと思っていたので、怖かった。

けれど、我が家の借金家族を乗せた車は、
三茶の消費者金融がたくさん入っているビル、
通称「借金ビル」(←私が勝ってにこう呼んでいる)に到着。

とりあえず、はじめてだったので、単純にアコ●を選んだ。
免許証を持って、ドキドキしながら、無人契約機に入る。
無人といっても、もちろんカメラが付いていて、
「私を見てる」と思うと、汗だくになってきた。すごい緊張。
セキュリティーのために、カギが中から自動でかかった。
ますます緊張。そして、挙動不審。
機械の中のお姉さんの言うとおりに、申込み用紙に必要事項を記入。
ボールペンを持つ手は、汗でびちょびちょ。
免許証を掲示。緊張の連続。
そして、備えつけの電話がなった。
「もしもし?」
本物のお姉さんだ。とても感じがいい。
勤務先に在籍確認の電話をしている間、しばし待つ。
私の携帯にも、確認の電話がかかってきた。そして、待つ。
とても、長く感じた。本当は、10分も経っていないだろうけど。
冬なのに、異様に暑い。汗だく。
そして、カードが機械から出てきた!

限度額50万で申し込んだが、40万で受理された。
さっそく、40万円マックスをキャッシング。

「こんな簡単に借りられちゃうんだ…」と思った。

そして、現金の入った封筒を、車で待っていた母に渡す。


お母様 「ありがとう!ありがとう!!ほんとに助かるわ…。ゴメンね、ゴメンね…。」


私は、はじめて消費者金融でお金を借りた。
なんだか、とても、せつなかった。
複雑な心境だった…。

この借り入れの返済は、母がきちんと管理して返済していく、という約束のもと、借り入れた。

しかし、状況は、さらに悪くなっていく…。



posted by 梅田 まりも at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめての・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

はじめてのアコ●。

消費者金融デビューは、大学を卒業して、1年くらいたった頃だった。
レストランで、がっつり働いていた私は、月30万近く稼いでいたので、
実家に、毎月10万円の仕送り。会社が倒産したわけじゃないし、
それで、なんとかなると思っていた。

しかし、お母様から夜中に電話が…。


お母様 「まりもちゃん…。ゴメンね…。明日、どうしても、2万円必要なのよ…。
      どうにかならない?ほんとに、ゴメンねぇ…。」


こんな電話が、月に2回、3回と来るようになり、


お母様 「まりもちゃん…。いつもゴメンなさいね。また、お金のことなんだけど…。
      明日までに、10万円必要なのよ…(涙)。」




そんな金、持ってるかいっっ!!




って感じだったけど、その頃、休みなく働いていて、買い物もせず、
遊びにもいってなかったから、貯金はなくても、お金は多少あったのだ。
結局、計算すると、月10万の仕送りプラス、10万は送るのが普通になっていった。

そして、ついに…。

お母様が、東京に出てきた。車で、父&叔母も連れて。


お母様 「まりもちゃん…。明日までに20万円、用意しなきゃいけないのよ…。
      こんなこと、させたくないんだけど、もう誰にも頼めなくて…。
      消費者金融から、借りてきてくれない?」



今思えば、この時、実家の家計を、私がしっかりチェックしておくべきだった。
すでに、この時、父、母、叔母は、消費者金融から、5件以上借り入れしていて、
もうどこからも借りられない状態。

こうして、梅田家の一員を乗せた車は、
当時住んでいた三軒茶屋の消費者金融がたくさん入っているビルへ向かった。

つづく。

posted by 梅田 まりも at 02:54| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめての・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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